実家の近くの教会は、私が生まれるずっと前からあるので、
牧師さんやシスターさんとは家族ぐるみで交流もありました。
キリスト教の信仰心について考察するのも
こういう環境がベースにあることも関係すると思っています。
先日実家に帰った時に、
父から「あそこの教会の前に自動販売機の設置をするらしい」
と聞いて少し驚きました。
教会の副収入を増やす意図があるのでしょうが、
景観的にどうなのか考えてしまいました。
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自動販売機の設置を検討する
今の携帯とか携帯買取してしまいたい。
アメリカの若者の信仰心の低下が叫ばれて久しいですが、
それでも未だ大統領選挙などではカトリックの政党代表など強い支持を得ています。
ダライラマの言葉を借りずとも「宗教を持たない者の方が悪い事をやりやすい」ですが、
ISの原理主義のようにテロという形に移すものもあるのは事実です。
最近、世界的ハッカー集団「アノニマス」がISに報復宣言しました。
無実の被害者の報復ということですが、宗教の代理戦争にならないといいですね。
ちなみにアノニマスはネットなしでデータ通信可能にしたとも発表してしましたが、
これ私たちにも普及するのでしょうか?
そしたら今の携帯とか携帯買取してしまいたいです。
水道修理には、修理のガイドがありますが。
「政治と宗教は切り離されるべきだ」と多くの先進国の指導者が言われます。
私は、この考えに半分賛成で半分反対です。
というのも、かのダライ・ラマは「宗教者が悪い事を考えても、
それはたかがしれているが、政治家が悪い事を考えると国が滅ぶ」
と述べたものを読んだからです。
宗教ほど、精神の良心の判断を問われるものはありません、
しかし政治だけの場合、国、金、そして自分を天秤にかけます。
そしてその場合往々にして、良心は切り捨てられる事があるのです。
例えで水道修理には、修理のガイドがありますが、
政治家もある程度明確なガイドが分かると、国民は安心できる場合があります。
そして、それは宗教であってもいいのです。
ISやカルト教で悪いイメージばかりですが、原点を見つめたいものですね。
看板デザインから連想したこと
キリスト教看板って見たことありませんか?
黒地に白と黄色の文字で「神と和解せよ」や「心の罪も神はさばく」といった
聖書の言葉がかかれているものです。
これは「聖書配布協力会」というところで製作されているようです。
ブローマンさんというかたが取材を受けている模様を発見しました。
看板デザインを見るとちょっと怖いイメージがありましたが、
取材内容を見ているとそうでもなさそうですね。
次は協力会のことをもう少し調べてみたいと思います。